第7話 オイル・ショック(8)

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みなさん、こんにちは!
”レイム・ダックおじさん”です

ローマ見物した翌日は西ヨーロッパの代表的なパイプラインである中央ヨーロッパ・パイプライン(以下CELと略記する)をENIのTさんが案内してくれることになっていた。このパイプラインはジェノアで陸揚げされた原油をアルプスのサン・ベルナール峠(標高2,469m)を越え、スイスを通ってドイツのインゴル・シュタットの精油所まで輸送するパイプラインである。輸送距離は540kmあり、口圣26インチ(約66cm)のパイプで年間800kl=22,000kl/日)の原油を送ることのできるパイプラインであり、1964年にENIグループによって建設された。パイプラインは殆ど地中に埋設されているので、工事現場でない限りパイプラインを見ることは出来ない。TさんからI商事のMさんに電話で知らせがあったのはアルプスを越えるために原油を加圧するためのポンプステーションと、アルプスを越えた後パイプ内に異常な圧力上昇が起こった場合に減圧するための減圧ステーションがあるので、そこへ案内しましょう。だから、サン・ベルナール峠のふもとにあるアオスタまで来てくれということだった。

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Mさんは自分で運転する車で、レイム・ダックおじさんの泊まっているホテルまで迎えに来てくれ、2人でミラノから150km程はなれたアオスタまで2時間かけていった。途中の車中でMさんは商社の人間のやっていることや、自分の体験などをいろいろ話してくれ た。その中で、レイム・ダックおじさんの記憶に残ったことを以下に記してみたい。

イタリアでは大学を出るとドットレー(つまりドクター)という称号が与えられるので名刺にはみな、ドットレー Xと印刷してある。おじさんがイタリア人に会って驚いたのはドットレーばかりだったことであった。しかし、Mさんの説明でドットレーの多いことはわかった。Mさんは横浜国立大学の経済を卒業した後、I商事に就職、イタリア勤務になった。その後、現地の大学へ留学することが義務づけられており、彼はナポリ大学を選んだ。大学へ入学する前にイタリア語学校で6ヶ月間勉強した。初めの4ヶ月は来る日も来る日も何を言われているかわからなく絶望的になっていたが、ある日を境目に突然イタリア語がわかるようになり、それからはめきめき上達していったそうだ。「私はれっきとしたナポリ大のドット-レです。」と言っていた。情報と人材が商社の目玉といわれるだけのことはあるとおじさんはいたく感心した。

また、これから行くアルプスのことに話がおよんだ時、有名なハンニバルのアルプス越えのルートについては古来、諸説がある。サンベルナード峠などもそのひとつであるが、どのルートが正しいのだろうかということになった。Mさんの答えは明解であり、その理由は次のようであった。ギボン自伝によると、ギボンのイタリアを旅行するにあたってジュネーブでイタリア古代の地誌の研究を十分にやり、用意万端のあと1764年イタリア旅行に道案内をつれて出掛けている。ギボンは自伝の一節に「私はモンスニ峠を登ってピエモンテ平原に降り立ったが、象の背中ではなくアルプス地方の熟練の恐れ知らずなカゴかきの担ぐ軽快な柳駕で運ばれた。・・・」つまり、ギボンはハンニバルのように象の背に乗ってアルプスを越えたのではないが、カゴによってハンニバルのいった道をたどったといっているのではないかギボンの説を信じたい。Mさんはよく歴史のことを勉強している人だなと驚いた。

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アオスタではTさんと落ち合って、Tさんも我々の車に同乗していくことになった。ここからはTさんのイタリア語による説明をMさんが日本語に訳してくれた。アオスタからサン・ベルナール峠までの途中にエトロブルの加圧ポンプ所があり、そこへ立ち寄った。ジェノアからおくられてきた原油はここで加圧されアルプスを越える力を与えられることになる。加圧用ポンプが2台あり、オペレーターは1名で3交代でやっているとのことで本当に閑散しているポンプ所であった。30分程見学した後、サン・ベルナール峠を向け出発した。立派な道路で、交通もまばらなので快適なドライブであった。右側にマッターホルン(標高4,478m)左にモン・ブラン(標高4,807m)を眺めながら、これがアルプスかと思うと長年本や写真でしかみたことがない実物を前にして体がゾクゾクしてきた。

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サン・ベルナール峠で、下車してはるか眼下に広がるイタリア平野をみた時、昔からアルプスを越えてイタリアへやって来た旅人たちは感慨無量だっただろうと思った。箱根の山は天下の峡・・・という国に育ったレイム・ダックおじさんはスケールの違いを味わうことは大切なことだという思いにふけって、TさんとMさんが話していることが耳に入らなかった。サン・ベルナールのトンネルを越えるとスイスへ入り、下り坂になってきた。だんだん下っていくと赤い花が一面に咲いている斜面に出たとたんワーと声をあげてしまった。レンゲ畠や菜の花畠を小さい時か見て美しいなと思ったが、アルプスの斜面に咲く花はその雄大さで人の心を圧倒する美しさであると思った。この斜面に咲く赤い花はアルペンローゼだろうかと思いTさんに聞いてみたが、イタリア語で言われ、この赤い花が何という名か結局分から終いであった。

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この赤い花の咲いた一面にポツンポツンと農家が点在しており、Tさんがいうにはこの辺に住んでいるスイス人は冬になると雪に閉ざされてしまって隣との交流は殆どなくなるので人間として、頑固で交渉などやりにくい人達だといっていた。このことはENIグループがアルプス越えのパイプラインを布設するにあたって、布設杈を獲得するにあたって、この辺の人たちと交渉し、苦労し、その印象がTさんの頭に残っているのだろうかと思った。

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レイム・ダックおじさんは、アルプスの風景をみて昔から多くの人を惹きつける魅力を十分にもっていることが自分なりに納得できた。しかし、この地に育った人達は当たり前のことであり、外国人に呼び起こすような感動は呼び起こさないのであろう。マッタンーホルンだって、イギリス人のウィムパーがアルプスへやってきて、1865年に登攀に成功するまでスイスの人達は登ろうとしなかったのであろう。

Tさんは我々を案内して、スイスのマルティニにある減圧ステーションにつれていってくれた。ここは減圧弁があり番人が1人しかいないガランとしたところであった。Tさんにパイプ内の圧力が異常に高くなる事故は経験したかと聞くと設置以来、10年になるがまだ事故は起きておらず、パイプラインによる石油の輸送が安全性の面で高いものだという意見であった。

パイプラインによる石油の輸送は、ヨーロッパ大陸のような遠距離を輸送するには輸送費が安く、また安全な方法である。しかし日本のように狭く人口が密集したところでは、パイプラインによる石油の輸送は問題であるというのがレイム・ダックおじさんの率直な感じであった。

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