第7話 オイル・ショック(2)

S_4d4853cf

みなさん、こんにちは!
”レイム・ダックおじさん”です

幸いイタリアへ旅立つ前に、パイプラインの視察現場をどこにするか、また先方の技術者の都合などの調整があって2ヶ月程の余裕があった。

この2ヶ月の余裕を英会話の練習にあてるのか、またはせっかくイタリアへ行くのだからイタリア語の勉強にあてるか迷ったが、結局後者を選ぶことにした。その理由としてイタリアのエンジニアリング会社とのつきあいが長くなるかもしれないということ。また、野上素一著「イタリア語入門」(岩波全書)の序文に「我が国においてはイタリア語を教授する学校が少ないためイタリア語を独習する人の方のパーセンテージが多いという事実に基づき多くの例外を漏らさず盛り込んだ。・・・」と書いてあるのを読んで、好奇心をそそられたことであった。しかし、野上先生の本は詳しすぎて適当でないと思ったので、坂本鉄男著「イタリア語の入門」(白水社)を買ってきて文法の基本をやることにした。

Mp900428026

当時、横浜から東京の有楽町にある会社へ片道1時間ぐらいかけて通勤していたので、この通勤の時間をこの本にあてることにした。この本は大学で第2外国語として学んでいる学生の自習書として書かれたとまえがきに記されているが、簡明にまた興味ある話題がもられていた。このおかげで、途中でやめることなく2ヶ月間に2回通読することができた。この本によってイタリア語の基数には余り困らなくなった。しかし、時制が英語に比較し、やたらに多いのには閉口した。過去時制として、近過去、半過去、遠過去、先立過去などとわかれており、それに付随して動詞の変化があるので、これを2ヶ月で覚えるのは不可能と思った。それで、動詞の変化はEssereとAvereに限ることにした。また、代名詞類、接続詞などにも力をそそいだ。

Mp900401391_2

一方、会話の方はリンガ・フォンを買ってきて聴いた。ドイツ語のリンガ・フォンを持っていたが第1課から第50課まで内容がイタリア語も同じものになっていた。一つの外国語をリンガ・フォンでマスターすれば習う内容が同じなので、他の外国語をやるのにやりやすくしているとリンガ・フォンの外国語習得法に感心した。しかし、音感の鈍いレイム・ダックおじさんは2ヶ月間繰り返して、リンガ・フォンを聴いたが、頭に残るイタリア語は殆どなく、会話は全然ダメだと悟らされた。

このようなはなはだ不完全なイタリア語の力のままで、昭和49年(1974年)5月中頃、ミラノに向けてレイム・ダックおじさんは1人で羽田空港から旅立った。旅程はアムステルダム経由のロンドン行きの日航機でアムステルダムまで行き、ここでミラノ行きアリタリア航空に乗り換えるものであった。ミラノのマルペンサ空港へついて困ったことは、おじさんの荷物は日航機と共にロンドンへ行ってしまったことであった。いったいどうゆう風に説明すべきか途暮れていると、I商事のMさんが空港まで出迎えにきてくれており、Mさんが荷物を後日ホテルへ届けてくれるように空港に手続きをとってくれ、この窮地を救ってくれた。会話の出来ないことの不便さをイタリアへつくなり悟らされた。

Mp900402761  Mp900402756

イタリアという生まれて初めての国について何もかもが目新しく、時差による不眠など吹っ飛んでしまって、早速サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、見に出かけた。教会は観光客でごった返しており、団体の人たちも多かった。係りの人がレイム・ダックおじさんを団体の一員とみなして、この中に押し込んだ。おじさんはイタリア語で何か言い返すこともできず、なされるままに団体の中に紛れ込んでの名画の鑑賞となった。もまれながら十分に見ることもできず押し出されてしまった。出口のところで先ほどの係員は、おじさんは団体の一員でないことに気づいたようで鑑賞料をとられた。

翌日、Mさんは手を離せない仕事があったが、ラベンナにある天然ガスの採取所を見学するように段取りをしてくれた。ここで、イタリアの天然ガスパイプラインのことに触れてみたい。北イタリアを横断しているポー河の下流には天然ガスが産出しており、イタリア国内に天然ガスを配送するため、ガスパイプラインがはりめぐらされている。(この総延長は8000㎞に達するといわれている)。イタリアのエネルギーの開発、配送、精製などを行っているのがENI(Ente Nazionale Idrocarburiの略で炭化水素公社)であり、この配下にパイプライン布設会社、エンジニアリング会社(SNAM)などがある。レイムダックおじさんが勤めていた会社が技術提携したのが、SNAMであり、ミラノに本社をもっていた。Mさんの会社が、この技術提携の仲介の労をとってくれ。ミラノに滞在中、Mさんにお世話になることになった。

Mp900163693

ミラノを午後一番に汽車でたち、ボローニャ経由でフェルラーラまで行き下車、ここでローマへ行く汽車に乗り換えて、ラベンナには午後4時ごろつくという予定であった。ところが、フェルラーラについたのは少し遅れて午後3時すぎであった。そして、ここで乗り換えるべきローマ行きの汽車は既に発車してしまっていた。それで、次の連絡列車は午後4時すぎまでないということであった。次の列車まで待てば、ラベンナに着く時刻は午後5時過ぎになり、会社は終業してしまっている。先方の会社へ電話を掛けて少し到着が遅れるので、少し待ってほしいと英語でいえそうになかった。そこで、最後の手段としてフェルラーラからラベンナまでタクシーでいくことにした。しかし、どれくらい時間がかかり、また料金がどんなものか見当もつかなかった。駅の周りを探したがタクシーは見つからず、やっと見つかったタクシーの運転手はかなり年配のイタリア人で、英語で話し掛けても何の応答もなかった。レイムダックおじさんははた目から見れば、吹きだしそうな格好で必死になって手まねでこの老人にコミュニケーションをはかった。その結果、ラベンナまで1時間くらいかかり、4000リラで行ってやるという情報を引き出すことが出来た。この老人はラベンナの会社へ4時30分頃連れて行ってくれた。“地獄で仏に会う”というのは、イタリアでも通用するものかとレイムダックおじさんは感激し、この老人が去る方向にむかって最敬礼した。

前へ

第3回”英語のチカラ”開催報告

次へ

American Family