第7話 オイル・ショック

  第7話 オイル・ショック 

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みなさん、こんにちは!
”レイム・ダックおじさん”です!

前回、1970年(昭和45年)から1974年(昭和49年)までの出来事を年表によって振返ってみたが、この間に英語教育論争が起こっているので、このことにふれてみたい。(この論争については、“英語教育大論争”(文春文庫)を参照して頂きたい。)

 この論争の発端は、昭和49年4月18日、参議員平泉渉氏が自民党の政務調査会において「外国語教育の現状と改革の方向」と題して、試案が提出されたことに始まっている。この趣旨は、高校進学率が95%に達している今日(昭和49年当時)、旧態依然とした英語教育をほとんど国民の全部にあたる子弟に、ほどこしても効果はあがっていない。一方、わが国の国際的地位、国情に考えると、英語に堪能な人材の育成が必要になってきている。以上の2点から英語教育の改革が急務であるというものである。この試案に対し、上智大学の渡部昇一教授が、「諸君」(昭和50年4月号)に「亡国の“英語教育改革試案”」と題した論文を載せた。渡部教授の主張は、英語を学ぶことは思考訓練であって、この教育を受けることによって英語の潜在能力を養うことになる。従って、英会話などの実用的な運用力は必要になればできるようになる。英語教育を高校教育でなくしてしまうようになれば、思考訓練の場がなくなり、これは亡国につながるというものである。この英語教育論は「諸君」紙上で、4回にわたり行われ最後に「外国語教育大論・終章」として鈴木孝夫氏(慶応大学教授)が司会役になって、渡部教授と平泉氏の対談が行われた(「諸君」昭和50年8月号)。

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 この論争は、読解中心の英語教育を受け、会社に入ってからも英語で書かれた技術論文や工学的な著作を読んできたレイム・ダックおじさんにとって、英語を学ぶということはどんなことかを考える上で、非常な刺激を与えてくれた。 渡部教授は英語教育の改良を考える上で、大切な要因として漱石の説を引用している。つまり、「時間」と「教授法」と「教師」が英語教育の改良の三要因であり、このうち、外国語の教育にあまり多くの時間をさくことは、教育の本末転倒である。「教授法」も大切であるが、いくら立派なものであっても、これを活用するのは教師である。結局、「教師」のみが英語教育の改良の対象になる。これは卓抜した見解であり、英語教育のほとんどは教師問題に尽きるのであり平泉案はこの点が完全に抜けていると渡部教授は断言している。レイム・ダックおじさんは自分の受けた英語教育をこのような明確な視点から考えたことはなかったので、おおいに感銘を受けた。また、平泉氏、渡部教授共に、英語を学ぶことは大変な努力をしていることであるから、余程の決心をしてかからなけばならないといっている。このことは、レイム・ダックおじさんの過去を振返った時、身につまされる思いだった。中学へはいると英語の勉強をするのに必要だといって英和辞書をほとんどの生徒が自分で買ったり、お祝いにもらったりする。次に高校へ入ると高校生としてはこの英和辞書がよいといわれ、それを買う。さらに大学へ入ると英英辞書を使いこなさなくてはといわれてまた買う。しかし、辞書を使いこなしていている人は非常に少なかったように思う。このことは何も英語だけではなく、数学だって同じことが言えるのかも知れない。数学科には1学年に30名ぐらい学生がいるが、一人の創造的な数学者が出ればいいところだと数学をやっていた友人がいっていたことを思い出す。一将功成つて万骨枯るというが、英語教育の世界でも、このことはいえることで、毎年150万人ぐらいの中学1年生が英語を習い始め、大学を卒業して社会に出て、英語を自由に使いこなしている数は1%もいないのではないか。だとすれば、99%の人は英語を何のためにやったのか、渡部先生のいうように英語を習うということによって思考能力を養ったのだろうか。それとも英語の先生や教科書、辞書などを作る先生や、出版業者などを支援するための存在だけだったのであろうか。

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 前置きが長くなってしまったが、オイルショックがレイム・ダックおじさんに与えた影響は大きかった。このことについて以下述べてみたい。 昭和48年(1983年)に、それまで原油価格が2.8ドル/バーレル(=6,345ドル/キロリットル)であったものが一挙に11.2ドル/バーレル(=25,836ドル/キロリットル)までOPECによって引き上げられた。これは、大量の原油を中東に依存していた日本にとって大変な痛手であり、インフレの進行にこれが加わったため物価狂乱といわれる時代になった。インフレが進めば生活は苦しくなると思っていたが、レイムダックおじさんが驚いたことは月給が倍になったことである。物価狂乱といっても、すべての物価が2倍になったわけではないから、レイムダックおじさんのふところ具合は急に潤沢になった。特に彼は自動車にのったりしなかったから、石油の高騰に悩まされることはなかった。もうひとつ驚いたことは、原油の高騰によって、海底油田や北極の油田開発が進むことになり、これに必要なパイプ需要が高まり、パイプのバイヤーたちが海外から押しかけ、パイプ工場はフル稼動しても需要に追いつけない状態になったことである。パイプが寒いところへ輸出され、パイプとパイプを低温の状態で溶接し、パイプラインを建設する場合、どんな問題が発生するかについて、不明なことが多く、会社で検討する必要になった。

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 丁度、この頃レイムダックおじさんは開発部で、パイプラインの建設を日本でやるためイタリアのエンジニアリング会社から技術指導する仕事に携わっていた。開発部のメンバーは、S課長がS部長にまたN掛長がN課長に昇進していたが、顔ぶれは同じであった。S部長からイタリアへ行って、パイプラインの建設現場を視察してこい、といわれたが、レイム・ダックおじさんにとって初めての海外出張で誠に心もとないことであった。戦場へおもむく新兵さんのような気持で一人でミラノにあるエンジニアリング会社へ旅立つことになった。

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